学校教育でのPBLの導入事例が増えています。教育の研究者であれば、PBLのPは”Project”と”Problem”のどちらなの?と気になるかもしれませんが、実際の学校現場ではその議論は十分されず、曖昧なまま導入が進むことも少なくありません。私はある研究者の方とPBLに関するディスカッションをした際、自分の理解にも曖昧さがかなり多いことに気づき、本章を読み進めてみることにしました。
本章では「課題中心型のインストラクション」の略語である、TCI(task-centered instruction)という言葉が頻繁に登場します。学習課題または問題中心型のモデルは、問題基盤型学習(PBL)、問題中心型学習(PCL)、発見学習(DL)…等々、さまざまな名前で長年にわたり提案されていますが(p66)、まず本章ではTCIと他の問題あるいは課題中心型学習モデルの違いを、認識論、目的、処方という点で比較することから試みています。本書p66-67をもとにその違いを以下に示してみます。
<TCI>
認識論:認知的情報処理論、成人教育学、運動学習、認知的徒弟制などに基づく教育学上の信念
目的:効果的・効率的な学習とともに、現実的な文脈への知識の応用と転移を重視
処方:メリルの5つの主要要素(学習課題・既有知識の活性化・例示/モデリング・応用・および統合/探究)をどう使うか。課題遂行を支援するための足場かけなど。
<他の問題あるいは課題中心型モデル(例:PBL)>
認識論:学びについての構成主義的見解
目的:柔軟な知識、深い理解、問題解決スキル、自己主導(self-directed)学習スキル、効果的コラボレーション、自己主導的動機づけの発達に重点を置く
処方:課題遂行を支援するためのサポートやガイダンス要素は、必ずしも含まない。
もう一つのポイントは、TCIもまた人によって意味するところや定義が異なる点です。本章ではPBLはTCIとの対比という点でTCIの定義には含めていませんが、編者注(p86)によると、第1章のTCIの定義ではPBLを含んでおり、著者の定義を理解しようとする努力の必要性が述べられています。これは文献レビューだけでなく、研究者・教育者との協働や議論の際にも同じことが言えそうです。
「3.課題中心型のインストラクションの普遍的原理(p69-77)」では、メリルの5つの主要要素に沿ってTCIの処方的原理が説明され、「4.課題中心型のインストラクションの状況依存的原理(p77-81)」では、学習状況に応じてどの原理が適用できるかの具体例が挙げられています。2つの節は見比べながら読み進めると、より理解しやすいと感じました。
ここでは学習課題を例に挙げてみます。学習課題は、学習者が学習後に直面する現実世界の課題を元に作られるべきとされていますが、簡単に実現できるわけではありません。p78では、生物学者が水サンプル採取して分析することを模倣するよう設計された学習課題の例が紹介されています。近くの水域が利用できない、課外授業が不可能などで忠実度が低くなる場合、あらかじめ採取された水サンプルを受け取り教室で分析することが代替案で挙げられていますが、この方法は生物学者だと忠実度が低くても、例えば水質検査の会社であれば、逆に忠実度が高くなるかもしれないなと思いました。学校教育で現実世界の課題を再現するには時間的、物理的な制約は多いと思います。特に昨年はコロナの影響で、PBL授業の見合わせや学外活動を取りやめたという学校もあったと思いますが、それらをどう乗り越えて学習課題として据えるかを検討する際の参考にできそうです。
残りの4つの主要要素も、足場かけの方法や複雑な学習課題への工夫など、例とともに説明されています。ここで重要だと感じたことは、学習者の既有知識、前提知識の把握です。学習が始まった段階で学習に必要な既有知識のすべては把握できない可能性もありますが、課題遂行の停滞や学習者の様子から何か違和感に気づいたとき、すみやかに確認する手段を考えておくことが大事だなと思いました。
最後に実装上の問題(p81-84)では、TCIアプローチ実施で考慮すべき4つの課題(1.学習課題の特定、2.資源対学習者数、3.学習の深さと広さ、4.完全学習の確実化)が挙げられています。印象的だったのは「実世界の経験を提供しながらも、必要なすべての知識とスキルを網羅し、そして学習者のスキルレベルに一致させるような適切な学習課題を特定・設計することは、熟練したインストラクショナルデザイナーでさえ困難である(p81-82)」という一文です。私自身、授業の実践や設計支援をしていて思い悩む原因はここだったのかと気づきました。熟練者でも難しいのですから、私の場合、そこに至るまでの道のりはかなり長そうですが、4つの課題を常に意識しつつ、5つの主要要素をどう処方するかという枠組みで考えるという、一歩近づくためのヒントは得られたような気がします。
(熊本大学大学院教授システム学専攻 博士後期課程修了 石田百合子)