10月14日現地時間の夜11時過ぎ、ヒゲ講師はイズミール空港に降り立った。
第6回のまなばナイトを1週間繰り上げて開催してもらい、例によって懇親会で散々盛り上がった翌朝に成田からミュンヘン経由での長旅に多少疲れはしたが、11年ぶりにトルコに来るのが楽しみだった。
前回はトルコ国保健省のプロジェクトであったが、今回は「トルコ中央アジア・中東向け自動制御技術普及プロジェクト」の現地研修講師。
前回と同様JICAのプロジェクトであり、前回のトルコ訪問でヒゲ講師の門下生となることを決断した後、9年の歳月をかけても粘って博士号を奪取した教え子の招きによるものであった。
「先生、ちょっと来て手伝ってください」と言われれば断りにくい。オンライン大学院で教えている超フレキシブルの身の上で「授業があるからダメ」という決定打が打てない。
いや、何よりも、教え子が用意してくれる舞台で踊ることほど甘美な世界はないし(と言ってもベリーダンスを披露したわけではない。念のため)・・・。
今回のプロジェクトは、「自動制御技術普及」というヒゲ講師には(いつものように)中身がまるで分らないオートメーション技術が内容領域で、カウンターパート(プロジェクトの相手方トルコ人)は工業高校の先生方6名。
これまでに内容領域の専門家が機器備品を整備し、オートメーション技術を転移し、自動制御技術科のカリキュラムを実施してきた。それを今度のフェーズでは、「中央アジア・中東向け」に周辺国から関係者を呼んで、トルコが周辺国に技術移転をしていく担い手となる。
それを支援するのが本プロジェクトの目標で、そこにはインストラクショナルデザインのノウハウを移転することが必要。
そこで「先生、ちょっと来て手伝ってください」となったのである。
プロジェクト関係者などを呼んで開催したIDセミナーのお題は「ID入門とARCSと評価」の3本立て1日コース。予めトルコ語に翻訳するために配布資料はこれと決めていた。
しかし、トルコについた翌日から簡易版ニーズ調査を実施。
オートメーション技術の教育現場を視察、担当教員から問題点をヒアリングし、それをセミナーに組み込んでいく。
セミナー会場も整備し、グループワークのための資材も発注し、セミナー当日は英語からトルコ語への通訳を介して50人を操って成功裏に終了。
模造紙と付箋を活用したローテク・グループワークは結構新鮮だったらしく、わいがやの中で「参加型ワークショップのお手本を見せてください」という教え子からの厳しい注文も何とかクリアできました。
翌日からは、カウンターパートを1泊2日で周辺のホテルに缶詰にして集中討議(これは英語で直接指導)。間近に迫る初回の周辺国相手の研修計画について助言した。なぜホテルに缶詰にしたのか?
彼らの言葉だとファミリーマネジメントというのだが、何は置いても家族が第一のトルコ人は、日帰りだと集中できないらしい。
エーゲ海沿岸のリゾートホテルだから環境は万全で、密度の濃い時間が過ごせた(このあたりも学習環境整備というIDのノウハウですな)。
工業高校だから実習には慣れているんだろうな、と思っていたが、スキル系の実習はイメージできても、概念系のところは「どうやって練習の機会を与えればよいの?」という状況。IDセミナーでやったようにすればいんだよ、と前日の異文化体験を振り返りつつ、「何かを説明するときには必ず例を示せ」とか、「情報提供したら必ず練習の機会を設けよ」とか、「暗記させる必要がないものには応用問題を準備せよ」など指導。まぁどこの国でも、先生方は講義がお好き、ということですな(それしか知らないから、という説も有力)。
残り少ない周辺国相手の研修までの期間に、何とかファミリーマネジメントをうまくこなしつつ、しっかり準備して頑張ってね、と激励の言葉を残してトルコを後にしたのでありました。
トルコはこの11年の間にかなりの変貌を遂げていた。何といっても高速道路の整備はすごく進歩。安価な高速料金(1kmで10円相当とか)もあって、週末気軽に訪れたエーゲ海の港町クシャダスには、2000人乗りとかいう巨大なクルーズ船からの乗客があふれていた。前回の訪問では9.11をトルコ語のCNNで知り、「日本に帰れるのだろうか」と心配したことを思い出した。
EUへの加盟に必死になっていたトルコは、EU寄りの政策を変更し、イスラム圏の中心国として周辺国への影響を強めていく方針に転換したとも言われている。
その一翼を担うとも思える今回の「中央アジア・中東向け」プロジェクトは、トルコの今後を占う意味でも目が離せない存在となった。
(2012年10月24日 ヒゲ講師記す)