第8章は、医学部などで行われている問題解決型学習(problem-basedlearning: PBL)を取り上げています。ただし、タイトルは問題解決型学習(PBL)ですが、本文では問題解決型教授(problem-based instruction: PBI)について紹介しています。ではPBLとPBIは大きく異なるのか?と問われると、日本ではPBLという言葉に、インストラクションの要素も含めて論じられることが多いので、その差異はあまり気にしなくても良いと判断し、ここでは日本でより広く認知されているPBLに統一して原稿を進めます。
PBLの具体的な進め方は、
・医学部学生(6-8名)は講義や教科書を読むことから始めるのではなく、与えられたシナリオ(例えば、56歳女性メアリーは右足のしびれと散発的な目のかすみを主訴に来院)を読んで、自分たちの持っている知識をもとに、病態を推測したり、それらを確認するために必要な検査などを検討する。
・そのために、より多くの情報(例えば、血圧や家族の病歴、投薬など)についてチュータ(教員)へ質問し、チュータはケースファイルに記された情報であれば全て提供する。
・学生同士のディスカッションが、患者の診断と一連の治療方針について合意が取れるまで続けられる。
・チュータは、学生が結論に至るまでに活用したリソースやプロセス自体について、自己評価させ、学習とメタ認知スキルの発達を手助けする。 このように状況の提示から解決の提案まで、注意深く整えられた道のりを歩むことで、学習者達には、もしもその後実践で同じような状況に出会ったときに参照できる経験がもたらされる、
とされています。
例えて言うなら、NHKで放送されている「総合診療医ドクターG」のグループディスカッション版でしょうか。
そのPBL全体をデザインするうえで留意すべき原理として、以下の4点が挙げられています。
1.問題は真正(本物、リアルという意味?)&カリキュラムに合致&教科横断型
2.チュータの役割は学習者のメタ認知スキルと専門性を伸ばす支援
3.学習目的の達成を「真正」に評価
4.経験から学んだことを継続的に報告
また上記1.問題作成にあたってのデザイン原理として、以下の4点が挙げられています。
(1)学習成果は包括的に、教科の境界で区切らない
(理由:学習の可能性を制限するのを避けるため、多面的な視点からみることを促すため)
(2)専門家の意見を反映(実践ベース)
(理由:知識の転移を促すため)
(3)軟構造(構造化されていない)
(理由:現実の問題はややこしく、明確でない状況から意味を把握する力を養うため)
(4)現代的な内容に
(理由:学習者の取り組みは、現代の状況を議論に組み込むことができたとき増大するため)
ただこれだけでも不十分で、PBLを成功させるポイントとして、以下の4点が挙げられています。
〈1〉インストラクタや組織がコミットする
(理由:インストラクタによる成功に向けた関わりがなければ機能しないため、組織が信じていない場合にもPBLは成功しないため)
〈2〉PBLプロセス全体にコミットする
(理由:PBLを成功させるためには、・問題を注意深く選び、・全ステップを確実に実施できる時間とリソースが学習者とチュータに与えられる必要があるため)
〈3〉教師の教育信念を変える
(理由:チュータ自身の認識論的・教育学的な信念を変えるための真摯な努力が求められるため)
〈4〉物理的な空間を工夫する
(理由:伝統的な教室は、PBL実施のうえで物理的な拘束条件となることがあるため)
私も医学部で4年近くPBLに携わってきて、印象的だったのは、PBLにコミットしない教員が少なからずいたことでした。
教員は自身が学生時代に受けてきた講義スタイルで自分のようにちゃんと育ってきたんだから、今さら何故変える必要があるのか?と思っているのか、PBLがどういうものかイメージできないからか、あるいは研究、診療の上に頻繁にチュータとして駆り出されるのは勘弁(1回のセッションでチュータ15名ほど)と思っているのか分かりませんが、教師の教育信念を変えることがいかに大変かを実感しました。
一方の学生は最初PBLというスタイルに戸惑いますが、何度かやっているうちに多くの学生は慣れてきます。 そんなときPBLで有名なハワイ大学で医学教育を担当している教員に「教師の教育信念を変える」ことについて聞いたところ、「ハワイ大学でも最初はなかなか普及しなかった。普及し始めたのは、PBLで育った世代が教員になってから」と言われました。
理論は重要ですが、それだけでなかなか改善せず、普及には時間や戦略も不可欠なんだと実感しているところです。
(熊本大学大学院 教授システム学専攻 都竹茂樹)