トップIDマガジンIDマガジン記事[139-03]【ブックレビュー】『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(2024)三宅香帆 著

[139-03]【ブックレビュー】『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(2024)三宅香帆 著

タイトルをみて、ドキッとした人も多いのではないでしょうか。私が書店で初めてこの本を見かけたとき、同時に帯に書かれた「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」という言葉が目に飛び込んできて、自分の痛いところを突かれているなと、その場をそっと通り過ぎました。しかし数日後、改めてこの本を見かけたときに、もう一つの私の痛いところ(且つ、研究としての私の関心領域の一つ)である「リスキリング」のヒントになるかもと思い、思い切って読み始めることにしました。

いわゆる「自己啓発本」かと思いきや、そうではありません。目次を見ると、「労働と本を読むこと」との関係の変遷が、明治時代から2010年代までを9つの時代にわけ、その当時に流行った書籍の紹介とともに、丁寧に描かれています。見方を変えれば、企業の労務管理・人的資源管理の観点での経営学、社会階層の観点での社会学、それぞれの時代の読書文化に関しての人文科学を広くカバーした人材育成の専門書の一つといえるかもしれません。

本の著者は、本が好きで文学部に進学し、IT会社に勤務したものの本が読めなくなっていることに気づき、会社勤めを辞めて、文芸評論家に転身されたそうなのですが、随所に、本を読むということに対する熱い想いが散りばめられています。

各時代における「本を読むこと」の位置づけと、労働に関連して読まれていた本の種類については、ぜひ本書を手に取って読んでいただければと思いますが、私が特に印象に残ったのは、以下の3つです。

一つは、1990年代を境に自己啓発書で描かれる内容が変わったという点です。自己啓発書が、内面の在り方(態度)から、具体的な行動を示すものに変化したことを、以下のように記しています。

自己啓発書の原点として明治時代に流行した『西国立志論』を紹介したり、1970年代のサラリーマンに読まれた司馬遼太郎の小説を紹介した。それらと90年代の自己啓発書と最も異なるのは、同じ自己啓発的な内容ではあれどそのプロセスが「心構え」や「姿勢」「知識」といった<内面>の在り方を授けることに終始していたことだ。たとえば偉人の人生を紹介することで、その生きる姿勢を学ぶ。そこに<行動>プロセスは存在しない。しかし90年代の自己啓発書は、読んだ後、読者が何をすべきなのか、取るべき<行動>を明示する。(p170)

二つ目は、読書はノイズであるという点です。

90年代以降の自己啓発書は、ノイズ(他者や歴史や社会の文脈)が除去されています。その背景には、人々が現代の労働市場に適合するには、自分がコントロールできる行動の変革が求められている点にあります。その結果、(自己啓発書以外の)読書が「労働のノイズ」になったと、著者は述べています。

最後は、知識と情報の差異(p206)についてです。著者は、「情報」=知りたいこと、「知識」=ノイズ+知りたいことであると整理し、読書はできなくても、インターネットを見ることができるのは「ノイズなく、欲しい情報を得られること」によるものだからと説明しています。

という話を、10数年ぶりに会った大学院の同期に話していたところ、「でも、仕事を進めるうえではノイズも大事なんじゃないの?」と言われました。ノイズは、IDの学習の出入口を見極め、方略を考えるうえで重要な情報の一つです。そのことに気付かなかった自分にヒヤッとするとともに、本を読んで語りあうことの大切さを改めて痛感しました。こうやってノイズとうまく付き合い、使いこなすことが、これからの学びや、学びの支援を考えるうえで、とても重要なことなのかもしれません。

※「ノイズ」や「働きながら本を読むコツ」について詳しく知りたい方はこちらもどうぞ。
PIVOT TALK 三宅香帆 社会人になると本が読めなくなる
https://pivotmedia.co.jp/movie/11705

(熊本大学大学院教授システム学専攻 博士後期課程修了 石田百合子)
 

カテゴリー

IDマガジン購読

定期購読ご希望の方はメールアドレスを登録してください。

定期購読の解除をご希望の方は以下からお願いします。

IDマガジンに関するお問い合わせは、id_magazineあっとmls.gsis.kumamoto-u.ac.jpにお願いします。(あっとは@に置換)

リンクリスト

おすすめ情報

教授システム学専攻の公開科目でIDの基礎を学習できます。おすすめ科目は以下です。

謝辞

本サイトは、JSPS科研費「教育設計基礎力養成環境の構築とデザイン原則の導出に関する統合的研究(23300305)」の助成を受け、研究開発を行いました。

このページの
先頭へ