トップIDマガジンIDマガジン記事[138-03]【ブックレビュー】『ジョン・デューイ―民主主義と教育の哲学』上野正道(2022)岩波書店

[138-03]【ブックレビュー】『ジョン・デューイ―民主主義と教育の哲学』上野正道(2022)岩波書店


おそらく、多くの熊本大学大学院教授システム学専攻(通称、GSIS)の関係者にとって、ジョン・デューイという哲学者は、気にかかる存在なのではないだろうか。博士前期課程に「基盤的教育論」(※)という、教員免許を保持していない学生が、教育の基盤となる心理学や哲学の内容を学ぶことができるように用意されている科目がある。その課題図書の一つとしてデューイの「経験と教育」が指定されていて、この科目では与えられたテーマについて学生同士で議論を交わすことが求められる。

私は、10年ちょっと前、博士前期課程1年次にこの科目を履修し、この本を読んだ。テキストの文量自体は多くはないのだが、読み進めるのが困難だったというのが、強い記憶として残っている。同じ科目を履修している同級生とも、「何言っているかわかりにくくないか」「そうだよね」とfacebookグループで言い合っていたような気がする。授業で用意されているeラーニングの掲示板では行儀のよい議論をし、裏掲示板であるfacebookグループで、そんな率直な本音を交わしていたと記憶する。翻訳の問題で、英語の原典にあたれば、より理解しやすいのではと思い、原典にあたった英語の堪能な同級生もいたが、英語も難しかったと報告があった気がする。10年以上前なので、記憶はおぼろげで、いくつか記憶違いがあるかもしれないが、内容を追うのが困難であったということが、私の中で強い記憶として残っており、デューイがどのような過程を経てこのような思考に至ったのか、いつか向き合ってみたいなという思いを抱いていた。一方で、専門書にあたるほどの時間的な余裕も元気もない。そんな気持ちをぼんやりと抱きつつ、たまたま書店で見かけて手に取ったのが本書である。
『ジョン・デューイ―民主主義と教育の哲学』は、デューイ研究の第一人者である上野正道氏が書いたデューイ思想の入門書である。岩波新書の1冊として出版されたものなので、専門的な内容をコンパクトに学ぶことができる。本書では、デューイの思想のエッセンスについて、民主主義と教育に焦点を当てて、時代状況などの背景とともに論じられている。全6章で構成されており、デューイの生い立ちから晩年までを伝記として描いている。

第1章ではデューイの生い立ちからシカゴ大学に赴任する前の1870-90年代の時代状況が示されている。この時代では、教師や教科書を中心に教育を構成する「旧教育」を批判し、子どもの個性や自由、興味、自然な発達を重視する「新教育」が広まっていた。デューイは「新教育」の立場の思想を展開したように思われがちであるが、当時から「旧教育」を拒否し、「新教育」を推進するのではなく、「旧教育」の研究者たちとも交流を重ね、様々な立場の研究者の考えに刺激を受けながら、「旧教育」と「新教育」いずれかの立場に立つのではなく、両者につながりを見出す独自の考えを構築するに至ったという。
第2章ではシカゴ実験学校でのデューイ自身による教育実践への挑戦が、第3章ではコロンビア大学に赴任したあとの活動が紹介されている。現代のPBL(プロジェクト学習や問題解決学習など)でも言及されることもある、デューイが提唱した探究学習のプロセスや、デューイの教育思想を端的に示すものとして言及されることが多いlearning by doingという言葉が生まれた背景が示されている。第4章では、デューイによる日本と中国の訪問について記されている。大正デモクラシーの時代の日本で、民主主義という考えと結びつきながら、デューイの教育思想が広く受け入れられていった様子が描かれている。
続く第5章では、1920年代以降のデューイの教育思想が紹介されている。この章で特に私の印象に残ったのは、「デューイにとっての「教育科学」」という節である。この時代は、行動主義心理学が立ち上がり、教育の成果を数値によって測定するという研究アプローチが広まったという。いわゆるIQテストが広まったのも、この時期である。こうした量的に教育を評価するアプローチは、行政がトップダウンで教育政策を検討する際の材料として有用であるため、急速に広まったが、それに異を唱えたのが、デューイだった。デューイの教育評価に対する考えを端的に示していると思われる箇所を引用しよう。

 「デューイは、すでにあるものにとどまることなく、いまだないもの、つまり移り変わるプロセスのなかで、変化し、成長するものを質的に見て取ることを重視した。言い換えると、子どもの個性や能力を、すでに存在する固定されたものとして『客観的に』測定することよりも、存在する事実と、変容し成長する可能性をもつものとのあいだで理解したのである。
デューイにとって進歩主義に求められる『教育科学』とは、閉じた領域のなかで正統性を提示するものでも、標準化された信念を表現するものでもなく、学校の教育実践が機能するために知性を提供する『立証された事実と検証された原理の一群』のことであった。」(上野 2022 173-174)

この箇所が印象に残った理由は、デューイの教育評価に対する現代でも未だに古びない論点を提示したということを知ったからである。客観的に学習成果を評価するのではなく、その人それぞれの成長を捉えるという考えはその後の時代に登場する構成主義心理学に基づくアプローチにも近しいもののように思えるし、学びの軌跡や成長を証拠とともに捉えていくポートフォリオ評価法にも近いかもしれない。教育をどう評価するかという論点は今でも難しい問題として議論されることが多いが、未だに議論が交わされている本質的な問いをデューイが100年近くも前に提起していたと知って驚いた。
そして、最後の第6章では1930年代以降から晩年にいたるまでのデューイ思想の展開について論じられている。大恐慌からニューディールに至る時代、社会が大きな変化を迎える中で、教育が社会とどう関わるべきかについて思考を深めた様子や、アート教育が個人の自由な探究や人同士の想像的なコミュニケーションを促し、民主主義の文化的基盤を構築するために機能する可能性を見出した様子が描かれている。また、冒頭で紹介した「経験と教育」という書籍が著されたのも、この時代である。教科中心でカリキュラムを作るか、子どもの興味や経験を中心にカリキュラムを作るかといった二元論ではなく、両者を連続的に捉える視点を提示した。そして、この章では、第二次世界大戦を経て、1952年に91歳でデューイが亡くなるまでを描いている。

本書を読んで、「経験と教育」という著書の出版に至るまで、デューイはさまざまな経験や思索を経てきたのだということがわかった。おそらく、デューイは、多様な立場の人々との交流や自らの教育実践をはじめとする経験に基づいて自分の思考の幅を広げ、時代の状況に対応しつつ、本を書きながら、思考を深めていったのだろう。
「経験と教育」では、子どもたちの実社会での経験を学びの中心に据えつつも、教育者の役割はその経験から子どもたちがよりよく学べるよう整えてあげることであると論じられている。やや強引な解釈かもしれないが、本書でデューイの経験と思索の軌跡を知り、デューイは自らの生き方にも「経験と教育」で展開されていた考えを適用したのではないかと想像した。つまり、自ら積極的にさまざまなことを経験しながら、その経験からよりよく学べるように思索を深める機会を作り、自分の学びを意図的にデザインしていったのではないかと思った。真実はわからないし、そうしたことが本書で論じられているわけではないのだけれど、そう考えてみると、「経験と教育」の議論はより生き生きとしたもののように感じられた。そして、「経験と教育」という書籍が私にとって、より身近な存在になった気がした。

書籍『ジョン・デューイ―民主主義と教育の哲学』は、デューイの経験と思索の軌跡を知り、デューイの著作をより楽しむためのヒントを与えてくれる書籍である。「経験と教育」を読んで辛かったという人にも一読をおすすめしたい。

※「基盤的教育論」の科目内容については、以下で公開されている。第4ブロックに、デューイの「経験と教育」を扱った課題がある。
https://www.gsis.kumamoto-u.ac.jp/opencourses/pf/4Block/index.html

 (熊本大学大学院教授システム学専攻 客員准教授 天野 慧)

 

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