ヒゲ講師は、2024年9月初旬、日本教育工学系学会の秋季全国大会でポスター発表に臨んだ。混んでる場所に長時間滞在するのが苦手な性格なので、いつもポスターセッションは入口あたりの廊下でそこを通る人に再会したり雑談することぐらいしかできない。でも自分のポスターとなれば、我慢して、混雑している部屋に突入せざるを得ない。そう覚悟を決めて、責任滞在時間に挑んだ(何やら悲壮感が漂う描写になってしまいましたが、それほどひどくはありませんのでご安心を)。
今回のお題は、今年度から5年間かけて取り組む科研プロジェクトの概要と着地点についての報告。まだ何もやっていないのに堂々と「今からこんなことにチャレンジします」というネタだけで発表するのは、相当、面の皮が厚くなくてはできない所業である。でもヒゲにとっては、科研プロジェクトが始まるたびに、「プロジェクトの概要と着地点」についての報告を重ねてきた常套手段。それは何故か。せっかく丹精込めて作成した科研の申請書(とりわけそこで用いた図)を科研に審査員に見てもらうだけではもったいない。工夫したものはもとをとるまで使い倒す、という工学者魂の表れである、と理解してもらえると嬉しいのだが、そのことに気づくのは科研の審査員だけである(たぶん)。この何回も使ってきた常套手段が研究倫理上何らかの問題をはらんでないことを願うばかりである。
なぜ「プロジェクトの概要と着地点」を何もやっていない時点で発表するのか。それには効率を追求する工学者魂だけでなく、それなりの理由が他にもある。まず、今後研究を進める上で、誰かに何らかの協力を仰ぐ際に、簡潔にまとめた資料として使える(やっぱり、これも工学者魂の使い回し目的か)。次に、研究が進んだ段階で、共同研究者たちが、自分が分担した部分の発表をする際に、先行研究としてレファーすることができ、紙幅が節約できるようになる。ようするに、代表研究者が狼煙を上げたあと、これから関連研究が次々に発表されますよ、という予告編の役割を果たすため。この科研でやっているということを謝辞に表記すれば、共著者としてヒゲの名前を出してギフトオーサーシップになる危険は回避できる。ついでに参考文献にも書いておいてね、というわけである。
前職で職場をあげての大型科研費の獲得を目指していた数年間のブランク(落選期間)を経て、組織のためという呪縛から解放された。残り少ない研究者人生の仕上げに取り組むべきことは何か。熟考した末に、最も長く研究者人生を共にしてきた直近の仲間たちと一緒に申請したプロジェクトが採択されたのである(実は2つ出したうちのもう一方は不採択となり、研究期間を4年に短縮して再チャレンジ中。受かると良いなぁ・・・)。こうなればもう、最後まで走り抜けるしか、選択肢はなくなった(まぁ、どこまで真面目に取り組むか、という程度問題は、まだありますが)。そういう状況を作りたかった、つまり、弟子筋の協力を得ることで走り続けることができるように、自分を追い込んだと言えるでしょう。
このポスターを見に来てくれた長年の友人に「そんな大きな予算を取って、まだ仕事したいの?」とつっこまれた。彼によると、ヒゲは「いや、自分は何もないと怠ける人だということがわかったので、自分に仕事をさせるためにも科研費を取った」と答えたと言う(そんなことは言っていない、とは言わない)。彼は、「(いや、怠ける人でいいじゃないか、十分働いたのだから)と思ったけれども、『怠けるのが嫌、最後まで走りたい』というのは、その人独自の人生目標であり、ライフスタイルなんだろうな。」とNOTEに書いてくれた(https://note.com/kogolab/n/n9002d244e11a)。これを最高の賛辞と受け止めて、あと4.5年の研究者人生を、いろんな人に支えられながら過ごそうと思う。
(ヒゲ講師記す)