2010年に熊本大学大学院教授システム学専攻と出会い、そこから、「ストーリーのある学習」がわたしの大きな研究テーマになりました。「ストーリーの効果を活用した学習って、すごく効果があるに違いない。いや、これしかないのかも」と直観したのでした。その奥には、わたしの学習歴があるように思います。例えばわたしは、高校の歴史がなかなか頭に入らず、まず歴史物語を読んでから学習に取り掛かるようにしていました。「中国の周辺国の歴史物語ってないのかしら?」と物語を探すことにかなりの時間をかけました。実は英語の読解も。科学ストーリーや社会システムについての何らかのストーリーを、日本語で読んでひとまず頭に入れておくと、その後の学習が楽でした。
ということで、ナラティブです。この本では、ナラティブを「さまざまな経験や事実を過去や現在、未来といった時間軸で並べ、意味づけをしたり、他者との関わりの中で社会性を含んだりする表現」と定義しています。日本語の「物語」「語り」「ストーリー」を全部、含めたような表現ということです。
著者は新聞記者で、この本も取材経験から語られています。
SNSとナラティブの関係では、安倍元首相の銃撃事件にどうナラティブが関連しているのかなどを紹介しています。映画バットマンシリーズの『ダークナイト』の主人公ジョーカーに関心を寄せていたことをうかがわせるものもあったとか。ジョーカーは、貧困生活から抜け出せずに社会に怒りを募らせるように殺人者へと変貌していくキャラクターとのことです。このナラティブに心を寄せたのですね。また、トランプ前大統領の演説は常に「被害者物語」であり、支持者はそこに自分自身を重ね合わせて魅せられるのではないかという指摘を紹介しています。
ここを読んだ時、ストーリー型教材で失敗をつくる時には「被害に遭って失敗した」なんていう設定にすると、没入感が高まるのかしら? などと、ちょっと思ったりしました(単なる思いつきです。単なる)。
論理科学モードとナラティブ・モードの違いについても紹介されています。論理科学モードとは、「複数の出来事の間の因果関係を論理的に明らかにし、『普遍性』『一般性』『法則性』を見出して、『一貫した命題」を解き明かそうとする」モード。それに対してナラティブ・モードとは「さまざまな事象を時系列的に並べ、矛盾やあいまいさを排除せず、むしろそれらを抱えたまま『もっともらしいリアリティ』を作り上げようとする」モード。
ストーリーを用いて学習させる時には、学習内容の普遍性、一般性、法則性などの特徴と、ストーリーの持つ矛盾やあいまいさをどうなじませるのか、なんて問題が潜在しているのかも、と思ったりしました(これも単なる思いつきです)。
ナラティブには、没入することで行動変容の可能性があることや、入ってきた情報は自分の経験や知識をベースにナラティブ形式に変換されること、なども具体例とともに紹介されています。
これらも、学習設計に役立てられそうです。
学習設計をする上で押さえておきたいことは、OECDの21世紀スキルとナラティブの関係です。非認知的スキルの重要性がうたわれていますが、ナラティブ・モードの思考を支える能力が非認知的スキルだと紹介しています(チラッとだけ。詳しい内容を知りたい方は別の書籍をお読みください)。自律性、自己効力感、内的動機づけ、自己制御、自己認識、メタ認知、ストレス対応能力、コミュニケーション能力、協働性、性格特性、創造性など、なじみ(?)の用語とナラティブ・モードとの関連が紹介されます。
この本に紹介された内容について考えてみると、ナラティブの効果を学習設計に取り入れる意義の大きさが見えてくるような気がしました(わたしだけ?)。
「人間にとってナラティブとはいったいなんでしょうか」と養老孟司に問いかけた時、「ナラティブっていうのは、我々の脳が持っているほとんど唯一の形式じゃないかと思うんですね」という答えが返ってきたことが紹介されていました。続けて「歴史書も教科書も、個々の出来事はどれも断片的で、そのままではなかなか頭に入らない。だがそれらをつないで一つの『お話』としてのナラティブの形式にしていくと、受け取る者の脳にも収まりやすくなる。それが映画であり、授業であり、実習なのだという。」と語ったと。
高校生のわたしが、中国の周辺国の歴史物語を探した理由がよくわかりました…。
ナラティブ・ストーリーについての本はいくつも出ています。この本に限らず、学習設計に何が活かせるか? という視点で読んでみてはいかがでしょうか?
(熊本大学大学院教授システム学専攻 修士5期修了生 竹岡篤永)