ヒゲ講師は大学教員にとって年に1度の祝福の日を、2年連続オンライン環境で迎えた。大学教員にとっての年に1度の祝福の日とは、言わずもがな卒業式である。手塩にかけて育てた弟子たちが旅立つ日、大学院の場合は学位記授与式、そして学長名の学位記を部門ごとに授与するのが学位記伝達式と呼ばれる行事である。本専攻の場合は、4月の第2土曜日に入科式・オリエンテーションと同日に東京で行うのが伝統になっている。新旧入り乱れる祝祭の日であり、絶好の相互交流の機会である。大学院での学習自体はオールeラーニングのプログラムであるが、だからこそ、この日は対面で多くの方々の祝福が行き交うとても重要な日である。しかし残念ながら、コロナ禍のため2年連続オンラインでの挙行となった。
それでも大学教員にとって、そして旅立つ人、これから始める人たちにとっても、特別の日であることには変わりはない。厳かな儀式に緊張した面々。晴れ晴れとした顔。受賞の喜びに涙する者も、その涙にもらい泣きする者もいた。本専攻では、儀式には通常含まれない研究成果の要約発表と入学生の1分間自己紹介を取り入れている。入学生の自己紹介ではこれから始める人たちの多様性が確認できる。今年もバラエティに富む百戦錬磨の面々が選抜できたことが確認できた。そして、学位を手に旅立つ人たちの研究発表は、それぞれとても自信に満ちたものであった。2月の公開審査会では発表が終わった後の質疑応答に緊張度が一気に高まるが、その試練を経て、一息ついてからの発表である。今回は質疑応答がないから余計に堂々としていたように感じたのかもしれない面はあるとしても、堂々としたものだった。
その様子をとても嬉しく思い、学位記伝達式にあたり、専攻長として激励の言葉を述べた。以下、その要約。「君たちの発表はとても堂々として、自信に満ちているように思えた。それは、研究テーマがそれぞれの職務直結で実用的なものであり、学位を獲得した自分だけでなく周りを幸せにした手ごたえがあったからだろう。それに加えて、自分が実用的な結果を出せた背景には、学問的な裏づけを持っていた。なぜ功を奏したのかを説明できる力を備えるようになった。このことが大学院で学ぶ意義であり、実践知と理論知を往還できることが高度職業専門人になった証である。これからも本専攻が掲げる修了生コンピテンシーを十全に発揮し、同窓生として本専攻の発展に寄与するとともに、裏付けのある実用的な「介入」をどんどん産み出して周りに幸せを広げてほしい。」文章にすると格式高く感じるが、まぁこんな内容だったと思う(原稿を用意して読んだわけではないので・・・)。
このメッセージをもって、専攻創設以来の15年間の長きに及んだヒゲ講師の専攻長としての仕事は完了した。15年という節目にあたり、交代を願い出て、周囲(特に次を継ぐ人たち)の理解を得ることができたお陰である。入科式・オリエンテーションからは新年度の専攻長に委ねたため、専攻長としてのヒゲ講師のあいさつはなかった。それがさびしいと言ってくれる人がいたことも、今年の祝福の日をより特別なものにした。同時に、創設以来4年務めた研究センター長の役割も後進に託した。同じ時期に学会長も任期満了となったので、「長」としてのすべての肩の荷を下ろしたことになる。やれやれ、無事に(たぶん)終わった(教授としての定年ではありませんので、誤解なきように)。世代交代にはまだ課題は残っているものの、これまで多忙を理由に先延ばしにしてきたことへの言い訳がなくなったことだけは確かである。
一息入れたら、早速動き出そう。そうしないと次を継いでくれた人たちに申し開きが立つまい。
(ひげ講師記す)
追記:ヒゲ講師の入科式・オリエンテーションでの専攻長としてのあいさつは、以下の3つが定着していた。もう言う機会はないだろうから、ここに記しておく。1)オプションを大切に。本専攻には学位取得に必須でないオプションがたくさんある。無理のない範囲で自分で貪欲に選んでプラスαのチャンスを生かしてほしい。2)学位は与えられるものではなく奪い取るものである。学生からの援助要請がない限り、問題なくやっていると解釈し、余計なおせっかいは焼かない(大人扱いする)ので、必要な援助要請は遠慮なく。3)家庭第一、第二が仕事、第三が本専攻での学びである。この優先順位を間違えないように。多忙な社会人にやさしい専攻であるように柔軟な運営をモットーとしているので、安心して取り組んでほしい。