ID的視点で日常業務を眺めてみると、入口出口の視点が欠落していることが多いことに気づかされる。特に出口であるゴール設定がないままに、方法の検討に終始することが多い。そのような折にビジネスの領域において「なぜそれをやるのか」というWhy思考が注目されているということを知った。「Whyそれをやるのか」とは、それをやった成果は何か?を問うているのであり、それはまさにIDのゴール設定と同じだと思ったのだ。日常の現場でゴール設定の欠落にもやもやしたとしても、会議の場や上司に「なぜそれをやるのか?」と真向法でいくと撃沈するのが目に見えているので(これまで多くの無駄打ちを経験した・・・)、ここは戦略を練る必要があるという思いから「Why思考」で検索して、本書に出会ったというわけだ。
本書の中で「WhyなきWhat病」の様々な具体例が紹介されている。「What」「Why」を人の特徴で示すと、「What型人間:そのままくん」「Why型人間:なぜなぜくん」であり、これらは対極にある思考なのである。この「そのままくん」と「なぜなぜくん」とをチェックするWhy型思考度セルフチェック10の項目が示されているので、自分自身や周囲の状況を理解するために活用をお勧めする。
本書の内容をIDに置き換えて考えてみると、Whyとはそれをなぜ目指すのかという到達目標・出口であり、Whatとは何をするかという方略を示していると思われる。本書は単にWhat型が悪いということではなく、「WhyなきWhat」が問題を引き起こすのだと述べている。ID的にいうならば、到達目標を明らかにしないままに、方略だけを考えることが問題を引き起こすことと類似している。まさにIDではメーガーの示すように「どこに行くのか」をまずは明示して、「何をするのか・どうやってそこにいくのか」を考えることが重要なのだ。そうでなければ、課題が解決したかどうかも評価できず、前例主義や形骸化した仕事に終始してしまうことを指摘している。
このような指摘を理解すると「What型人間:そのままくん」はダメダメだから、「Why型人間:なぜなぜくん」を育成しなければという思いに駆られる。しかし本書では、組織づくりという視点からするとそう単純な話ではなく、「What型人間:そのままくん」も「Why型人間:なぜなぜくん」も、どちらも必要な人材であるという。急激な環境変化においては、What型思考が求められていることは確かであるとした上で、What型思考でもやっていかれる、あるいはむしろWhat型思考が求められる職場というのもあるという主張である。
「確かに・・・。」私自身はどちらかというと「Why型人間:なぜなぜくん」で、これまでの慣習に納得がいかない場合には、鼻息が荒くなり大人しく仕事をすることができないという性質がある。一方で、組織の決まり事や言われたことを粛々とやり遂げる人々が一定数は存在しており、それはそれで素晴らしい能力だと思うのである。
なので、本書の結論としては、どちらを選ぶかは、よい悪いの問題ではなく人生をどう生きたいかの問題であるとしている。このように最終的には生き方の問題であるという次元で俯瞰して捉えると、人には向き不向きがあるのであり、「What型」「Why型」のどちらであっても互いにリスペクトし合い、適材適所への配置や人材育成が必要ということかなと理解すると、私の鼻息も落ち着いた気がするのである。
さらに教育という観点で抑えておきたいのは、そのままくんの原点はWhat型教育にあり、What型人材は「育てられ」(他動詞)、Why型人材は「育つ」(自動詞)であると主張している。これは教えなくても学べる教育、自ら成長する人材を育成することを目指すID的な視点からも大変参考になる。またビジネス界が変わらなければ学校教育も変わらないと指摘されており、カークパトリックが評価として示すレベルⅢ(行動)とレベルⅡ(学習)を繋げることの重要性を改めて理解するものである。
恐らくIDを学ぶ人は「Why型人間:なぜなぜくん」気質が強い傾向があるのではないかと想像するのだが、組織の中で疲れてきたなぜなぜくんに、是非お勧めしたい1冊である。
(熊本大学大学院教授システム学専攻博士後期課程 菊内由貴)