評価とは、何ができて何ができないか、目指すゴールと現状とのギャップを確認することである。確認したらどうするか、その先は自分で決める。もう少し頑張ってゴールを達成するか、それとももうこれで十分だからほかのことを学ぶ道を選ぶか。それを決めるための道具として使えばよい。その道具は自分で作る場合もあるが、たいていの場合は誰か自分以外の人が作ったものだろう。でも、誰が設定したゴールか、どうしてそのゴールを設定したかはどうでもよい。それを自分自身のために使う、と決めよう。そうでないと、評価結果に振り回されることになる。長年にわたって「テスト」に振り回された経験を重ねた結果、ほとんどの人は評価が嫌いになった。できれば避けたいと思うようになってしまった。でもそれではもったいない。もしもあなたが教える側にいる人ならば、学ぶ側にいる人に「テスト」に振り回されるな、自分のために使うべきだ、ということを伝えよう。それは評価を強いる立場にある者の責任だと思う。
誰が何の目的に作った評価か。評価は千差万別、いろいろな評価が世の中にはある。評価は一般的に、誰かが何かを決めるために情報を集めるために行われるものである。定員が決まっている大学のある学部に誰を入学させるか。誰を有資格者と認定して免許を出し、誰には出さないか。受講者の中で「合格」と判定できるのは誰で、誰にはやり直しを求めるか。誰かが何かを決めるために行う評価は、受けざるを得ない場合が多いけど、それはその評価を受けることに合意した人だけに求められることである。評価を受けるか受けないか、自分以外の誰かが設定した土俵に上がるかどうかは、たいていの場合、自分で決めることである。挑戦する学部を受験しようと選んだのも、何かの免許を獲得したいと思ったかも、あるいはどの授業の単位を取ろうとしているかも、ほとんどが自分で決めたことだ。
(中略)
本書では、評価問題を自分で作りながら、評価を自分のための道具として活用する方法を身につけていく。教える立場の人にとっては、自分が何を教えようとしているのかを明らかにする方法が得られる。学ぶ立場の人にとっては、誰かに何かを教えてもらわなくても、自分で設定したゴールに向けて学んでいくための道しるべになる。また、自分で作ることによって、自分以外の他者が作った評価方法を評価する審美眼を身につけることもできよう。評価が妥当かどうかを評価できれば、それに振り回されることも少なくなるかもしれない。自分の目指すことをはっきりして、現状とのギャップを把握しながらゴールに近づいていくための道具として賢く使うことができるようになることを目指そう。
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「本書」とは、設計マニュアル第5弾『評価設計マニュアル』になる予定のもの。そうです、「長」がつく肩の荷が3ついっぺんに降りて精神的に余裕が生まれ、コロナ禍の幽閉状態も追い風となり、ようやく書き始めました、というご報告です。「本書」が完成する暁には、上記の「はじめに」の何%がそのまま生き残るか分かりませんが、『学習設計マニュアル』の次に来る本(『教材設計マニュアル』よりも前に読む本)を想定して書き進めることにしました。
(ひげ講師記す)