2004.4.24. 講演資料「教科『情報』を元気にするために!」 第1回 ICTE東北支部情報教育セミナー in 山形,北村山視聴覚センター

高校教科情報を元気にするために、本音で語り合おう!


岩手県立大学 鈴木 克明
ksuzuki@soft.iwate-pu.ac.jp

1. ICTE東北支部の誕生

ICTE(情報コミュニケーション教育研究会)に東北支部が誕生した。記念すべき第1回の研究会が、さくらんぼで名高い、なつかしい北村山の地で開催され る。水越敏行先生を慕って末席に加えていただいたICTE創設メンバーとして、また東北の地で働いてきた者の一人として、とても喜ばしいことだと思う。な つかしい、というのは、その昔、県境を越えた温泉町に住んでいた頃、何度か機会があって視聴覚・放送の研究会などでお邪魔した土地だから。この地から、東 北全体の高校教科情報が元気になるようなメッセージを、たくさん発信できることを期待している。

IT(情報技術)が世の中を変えていくスピードは凄まじく目まぐるしい。携帯電話がケイタイになり、ケイタイがデジカメになり、近々テレビにもなるとい う。CD並みの容量までになったUSB接続のメモリスティックがすぐに使える便利な世の中になった。と思いきや、OSが古くてうちではソフトのインストー ルをしないと使えません。学校の情報化は、なかなか世間並みには行かないようで、最先端の情報教育を実施するにはお寒い状況が相変わらず続いているのか な。

ICTE(あいしてぇー)は、これまで「オタク」に支配されがちであった情報教育を何とか普通の人の手に取り戻そうという趣旨で出発した。そう思っている のは筆者だけであろうが、少なくても、ITでなく、ICT(情報コミュニケーション技術)を教育に役立てるという名前がついている。つまり、技術革新を追 及するというよりは、技術を使いこなす人を育てる、技術を使って人と人とがコミュニケーションをする能力を高めるという姿勢が込められていると思う。酒の 席でも酒を呑まない席でも、本音で語り合える。そんな仲間の輪が広がってくれることを期待している。

2. 話している人の方を向いて話を聞くこと

 これまでの筆者の非礼をお詫びする意味も込めて、東北各地で「つい本音を語ってしまった」事例をいくつか述べておきたい。まずは、11年間も住んでいた なつかしい県で情報教育研究会があると誘われて講演した後の苦々しい思い出から。講演はフツー(筆者の標準という意味で、世の中の標準からはかけ離れてい る可能性は高い)に終えて、研究発表を部屋の後ろでこっそり聞いていた。何を間違えたか(あるいは事前に予告されていたかもしれない)、何か助言をしろと いうので、例によって辛口のコメントをつけた。前へ出て行くべきだったと今になっては思うが、最後列から発言した。部屋に集まっている先生方はほぼ全員前 を向いたままだったので、「やっぱりどんな人がどんな表情で発言しているかを見ないと、発言内容を誤解することもありますよね」と言ってみた。それでも誰 も後ろを振り向かない。まずい空気が流れたな、と悟った。遅かった。

 小学校の頃、話を聞くときは、話している人にへそを向けろ、と教わった。筆者は、これがコミュニケーションの基礎だと思っている。それができない人が情 報を教えているのかなと残念に思った。普通の大人はそれを口に出して言わないが、筆者はつい言ってしまった。口は災いの元、本音で語り合うのもTPOを考 えないといけないですね。

3. 生徒に考えさせない授業と質問が出ない授業検討会

 A県の県大会でもかなり言い過ぎた。このときも、講演に呼んでいただいたので、ついでに授業も参観させてもらった。教師が自分のペースであっちへこっち へと生徒を引きずりまわして、生徒にあまり考える余裕を与えない授業だった。辛口のコメントを受け取れる人が授業者である(と筆者が判断した)場合は、な るべく具体的に、「ここが気に入らない」という見解を述べるようにしている。感想を正直に検討会で申し上げた。授業者の先生は、勇敢にも、この日が公開授 業であることを、そのときまで生徒には告げずにいた。普段着の授業を見せてくれた。その勇気に答える道は、辛口コメントにあると筆者は勝手に考えた。後で 送っていただいた研究紀要の原稿に、しっかり、そのままテープ起しされていた。コメントは的を得ていたと今でも思っているが、やっぱりまた、言い過ぎた、 と、後から記録を見て思った。しまった、と思ったが、遅かった。「言い過ぎたからここは割愛してください」とも言えず、すべてそのまま、掲載していただい た。

 それでやめておけばまだよかったが、授業検討会にせっかく集まった先生方から質問が出ないのを見て、「これではA県の情報教育が心配です」とまで言って しまった。検討会に質問が出ないのであれば、紙を配って質問を書いてもらうとか、あるいは掲示板を使って意見を交換するとか、様々な策を講じることができ る。これが情報教育の授業の工夫につながりますよ、と提案した。新しく始めようとしている情報の授業をめぐって、なぜ活発な話し合いにならないのか。先生 方が活発に話し合えないのに、生徒には授業で活発に動くことを要求できるのか(あるいは黙って聞いているような授業を展開しようとしているんじゃないよ ねぇ、まさか)。そんな思いがあったことは確かだが、これまた言い方に注意しなければいけないですね。ご迷惑をおかけしました。

4. 研究協議会という名の伝達講習会

 そもそもこの情報科には不可解なことが多い。矛盾と無理をたくさん抱えて、それでも現実に目の前にしている生徒に対して最善を尽くそうと思って、あれこ れ工夫している先生方には、敬意を表している。大変だなぁ、と思う。それでもあえて苦言を呈してしまうのは、情報科に対する期待がそれだけ大きいからだ、 と受け止めていただければ幸いである。2年も3年も真剣に議論して、それこそああでもないこうでもないとやりあって教科書を作った。その中で、現実の矛盾 と無理を慮るよりは、理想が大きく膨れ上がってしまったのではないかと思う。理想にどうやって少しずつ近づいていけるか、具体的な提案をするように心がけ たいので、「どうすれば良いと思いますか?」と聞いてください。

 教科書作りが一段落した頃に、現職教員向けの免許講習用テキストの執筆を依頼された。筆者が担当したのはコミュニケーションの基礎。富山大学の黒田氏と 一緒に、免許講習(各県開催)の講師予定者を集めて行った研究協議会に参加して驚いた。研究協議とは名ばかりで、15日の免許講習の中身を5日間でおさら いする形のものだった。講師が延々と説明する形が各県の免許講習に受け継がれ、それがひいては各学校の情報の授業スタイルになってしまう悪循環を想像して しまった。これは放置できない。早速、白紙を配って、(1)講師(筆者と黒田氏)に聞きたいこと、(2)会場に集まっている人たちに聞きたいこと、(3) 文部省に聞きたいことの3点を書いてもらった。休憩時間に集め、整理してできる限り解答した。矢面に無理矢理立たせてしまった文部省担当者には、多大なる 迷惑をかけたが、筆者がせめてできることをやったまでのこと、お許し願うほかはない。

コミュニケーションという観点からは、教室における教師と生徒の位置関係を見直し、情報の提供者としての役割を教師が放棄することができるかどうかで、情 報教育の目指す方向性が大きく異なってくる。職業人教育としての情報(処理)教育とは異なる、市民教育としての情報(活用能力)教育のためには、授業の常 識崩しが必須となる。「白紙を渡すこと」は情報のやりとりと授業進行についての象徴的意味合いが込められていた。

5. 教員養成すれど募集なし

 現職教員の情報免許取得が順調に進んだためか、新卒教員の採用数は期待されたほどないようである。筆者の勤務する某県立大学では、情報科の教員養成課程 を制度開始と同時にスタートさせ、毎年10名前後の有資格者を輩出しているが、お膝元の某県では未だに情報科教員の採用はない。学部で免許を取って進学し た大学院生を何とか非常勤で雇ってもらえたので、実績を一つずつ重ねて、信頼関係を構築していきたいと考えている。お膝元ではあるが、この県のことはあま り事情が分からない。他県へ出歩いてばかりいるからだと反省している。

 情報科の教員養成課程設置にあたっては、ソフトウェア情報学部というSE養成を旨とする専門学部が養成しないでどこがするのだ、という強い決意のもと、 たとえば筆者が情報科教育法I/IIと教育実習を担当するといった重圧に耐えながら、慌てて準備をした。特例措置のおかげで、設置当時すでに4年生であっ た学生に対しても、それまでに取得済みの単位をさかのぼって再履修したものとして認めることなどができ、設置から2年目には初めての免許状取得者を出し た。これまたありがたいことに、初年度に若干名(実績は6名)新規採用があった埼玉県に一人採っていただき、また東京の私学にも一人採用いただき、それぞ れ元気に活躍している。今年は、大学院ソフトウェア情報学研究科修了者に初めて情報科専修免許が交付された。教育実習でお世話になることや新卒を採用いた だくことに現職教員の大学院受入も加え、良い循環を確立していければと願っている(宣伝)。

6. 大学入試センター試験なしの功罪

 大学入試センター試験には、当分の間、情報科は入らないことが決められた。主たる理由は、実習が2分の1以上要求されている情報Aを実施している高校が圧倒的に多いことが挙げられている。この決定は悲しむべきか、それとも喜ぶべきか。

 筆者とは異なる会社で教科書を作成してきた研究者集団に誘われて、「もしセンター試験に出すとしたらどんな問題が出せるか」を検討し、試験問題の試作を した。その結果は科研費の報告書として公刊されるとともに、市販本にもなった。この経験を通して感じたのは、選択式でもそれなりの問題は作れる、というこ とである。一方で、選択式では問いにくい課題もある。センター試験なしの功罪は一概には言えないと思うが、教科情報の学習成果を把握(評価)する方法を確 立することが求められていることだけは確かである。それは、教科情報が何を目指して授業をやっているかを問うことと同じであるし、授業をよりよいものにし ていくための条件でもあるからである。

 筆者の所属学部では、開学以来、「志願者記録」として高校時代の学習の成果をまとめ、必要に応じて添付資料を含めるなどして、自己アピールする制度を継 続してきた。教科情報の学習成果がまとめられるとすれば、何らかの添付資料にそれが反映されるものと期待している。総合的な学習の時間や、専門高校におけ る課題研究などとあわせて、教科情報の学習成果は、センター入試よりもむしろ、別の形で評価されるのが良いのかもしれない。そこには、型にはまらない、自 由闊達で生き生きとした教科情報の姿が感じ取れると思う。

平成18年度入試は、前後期日程の柔軟化なども視野に、高等学校指導要領の改訂を受ける形で変革されることが予想されている。高校教育の変革をどのような 形で入試に反映させるのかは各大学が工夫していくこととなるが、情報教育の直接的な受け皿を自認する筆者の所属学部でも、一生懸命「ほんものの情報教育」 に取り組んでいる先生方の期待に答えられるような制度を確立していきたいと思っている。   (ICTE東北支部長)