『東北学院時報』原稿、1600字程度
マルチメディア時代の学び〜学校教育の何を変え、何を残したいのか〜
鈴木克明(すずきかつあき;教養学部助教授)
昨年度から五ヵ年計画で、仙台市立の全小学校にパソコンを二十数台ずつ導入する事業が始まった。数年前に市立中学校への導入は完了し、情報基礎(技術家
庭科)を始め、パソコンを活用した授業への模索がなされている。全国的に見ると仙台市はむしろ対応が遅かった方で、義務教育へのパソコンとインターネット
の導入は急速に広まっている。それに伴い各種の研修会や研究会が頻繁に開催され、教育工学が専門の筆者も、講師として招かれる機会が増えてきた。
中教審でも、高度情報通信社会への備えとして学校へのインターネット普及を早急に実現することを答申し、各地で様々な取り組みが始まっている。音楽プロ
デューサ小室哲哉氏の参画で一躍有名になったNTTの「こねっとプラン(全国の約千校が参加)」は、その代表例である。我が東北学院中高も、文部・通産省
の「ネットワーク利用環境提供事業」では、全国から選りすぐられた先進百校の一つとして実績を重ね、その成果が注目されている。
莫大な費用と手間をかけて、新しい教育手段は普及している。しかし、この変化がこれまでの学校の伝統に影響を与えるまでになっているかと問われれば、そ
の答えは否定的である。学校におけるパソコンなどの利用は未だ非日常的で特別な出来事であり、その他の授業は何も変わることなく続けられている。パソコン
などを導入することで学校を変えていくという文部省のねらいは、このままでは達成されそうにない。
学校は昔から変化にはきわめて消極的であり、保守的な組織体である。このこと自体は、学校に安定感を醸し出し、子どもが安心して育つ環境としてプラスに
働く要素である。また、学校がその使命を十分に果たしており、急激な社会変化を迎えている現在でも未来に活躍する子どもにとって十分な教育を提供している
という前提に立てば、むしろ変わらない方が望ましい。社会が急変している今こそ、「学校の守るべき伝統とは何か」を、問い直す好機である。
一方でこの変化は、「学校は今までのままでいいのか」という問いを発する契機ともなる。これからの時代を担う子どもたちには、パソコンとかインターネッ
トとかの使い方を教えるべきであるといった、教育内容の見直しも必要である。パソコンを駆使できれば就職に有利である、という現実的なメリットが強調され
ることも増えよう。また、プライバシーや著作権の問題、あるいはネットワーク犯罪やネットワーク中毒などの社会問題も教育内容に含まれることになろう。さ
らに、この問いは、もっと根元的な学校の常識そのものの再検討を促すことになる。
産業革命の申し子として誕生した現在の学校システムは、社会学者トフラーが指摘したように、読み書き算盤を教える中で、工場労働者として必要な「時間励
行、従順、機械的な反復作業に耐える精神」を培ってきた。受験における暗記重視と教師からの知識伝授という授業の在り方が、結果的にそれを支えてきた。近
年、校則の見直しによって「ルーズソックス」が大流行する素地を作ったり、不登校の子どもには大検の制度化などで「学校に行かない」という道を開いたが、
一斉授業という形態や教師と子どもとの関係などにはあまり変化がない。生徒会役員やボランティア活動は内申書のためのもの、あるいは、考えていては時間が
足りないからとにかく覚えろという受験数学など、このままでいいのかなと首をかしげることも少なくない。
宿題が大変で覚えられなくて苦労したという思い出。同じ時間を同じクラスで過ごした同級生仲間。学校で出会った多くの苦手なことの中に発見した自分が熱
中できること。苦痛以外の何物でもなくただ終わるのをじっと待っていた授業。今でも忘れられないあの先生との出会い。皆が一緒に当然のごとく学校に通い、
当然のごとく受けている授業。その何を変え、何を残したいのか。産業革命以来の社会変革が進行中といわれる現在、これからの学校について、皆で考えること
が今最も必要なことだと思う。