ソフトウエア工学研究財団(1997)『感性社会に向けてのマルチメディア学習環境のシステム開発に関するフィージビリティスタディ報告書』 機械システム振興協会システム開発報告書8-F-2、分担執筆(第1章の一部)

第1章 マルチメディア学習環境のシステム開発研究の背景


 この章では、感性社会に向けてのマルチメディア学習環境におけるソフトウェア開発に関する研究知見を整理する。初年度のプロトタイプ構築で実現した具体 的題材には、主としてマルチメディアデータベースの研究知見が反映された。また、次年度から具体的なアプリケーション領域として、感性社会での個の実現と 知の集約技法として注目が集まっている「ディベート」を取り上げた。さらに、本研究の対象となるマルチメディア学習環境全体については、感性工学、グルー プウェアとマルチメディア学習環境における相互理解のための記述法、さらに情報収集と論旨整理及びマルチメディアデータに基づくプレゼンテーションに関す る研究を整理し、ネットワークを介したディベート支援機構についての先進例も踏まえる必要がある。

 以下の節では、まず、感性情報処理の研究を概観し、マルチメディアデータベースと感性について論評する。続いて、感性社会におけるディベート技能育成の重要性について指摘し、ディベートにおけるネットワーク利用の先進例を整理する。


1.1 感性社会とマルチメディア学習環境


 「感性社会」、すなわち「個人や企業が『感性』を重要な座標軸の一つとする社会」は、これからの社会像として注目を集めている。このことが問題となる背 景には、わが国が経済的な存在感を高める一方で、日本の「顔」が見えない、日本文化が発信されていないとの指摘があるとされている。今後ますます複雑さを 増すであろう国際関係において、多様性を尊重しながら共存の道を追及していくことが重要になるとの認識の上で、相互に相手の個性を尊重しあいながら、相互 理解を深めていくという形で国際関係を深化させていく必要があり、「文化の多様性等も考慮にいれた高次の能力としての『感性』が求められている」と指摘さ れている(通産省広報、1993)。

 この指摘を受けて、感性社会における企業・産業に関する研究会では、感性社会を考えるにあたっての検討の視点として、「美」、「伝統」、「個性」の3つ を挙げている。物質的な飽和感が生まれ出している今、使う人に魅力を感じさせるような美しさをもつ「モノ」が必要であり、日本の「顔」を見せるためにはア イデンティティの基盤となる伝統を再評価し、また、個人が活力をもった生き生きとした社会には「会社中心主義」からの脱却が肝要であるとの指摘である。

 一方で、「感性社会」の技術的な基盤となるマルチメディアネットワークのインフラ整備は急速に進展している。高度通信情報社会の実現の鍵を握る情報通信 網の整備とそのマルチメディア的展開を広く社会に浸透するツールとして爆発的に普及した「WWW(World Wide Web)」を始めとするインターネットの台頭である。マルチメディアの技術的・経済的効果を、文化的・社会的文脈から明らかにしようと試みた西垣 (1994)は、マルチメディアが「感性」に直接訴えかける点を重視し、「音や映像などを駆使するマルチメディアの特長は、従来のコンピュータ応用技術と ちがって、理性というより感性に直接うったえかける点だ」と指摘する。「感性社会」と「マルチメディアネットワーク」とは、密接な連関をもつ。

 「感性社会」を実現するためには、社会的な整備はもとより重要であるが、一方でその社会を構成する個々人の感性が優れていることが条件となる。マルチメ ディアを用いて感性を育てるような学習環境を構築することは、このような社会的要請の一端に答える作業である。まずその手始めに、「感性」というキーワー ドでの最近の研究動向を概観することで、本研究を取り巻く状況を明らかにしたい。


2―2 感性情報処理(95)を改訂したもの
(これより坂谷内先生の要約原稿を挿入)

『坂谷内先生担当(挿入)
 レビュー 感性処理(工学)
      感性情報 ・(メディア)AIや感性
      感性情報 ・人間お能力支援
 』



1.2 学習環境としてのマルチメディア型データベース


 テレビ番組のディレクターとして「マルチメディア人体」の開発にあたった菊江は、テレビ番組での演出が「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」とお客を引 き込み飽きさせないように次々とストーリーを展開する「大道香具師」であるとすれば、マルチメディアでの演出はスーパーマーケットの店長役だと指摘する (飯吉・菊江、1996)。スーパーマーケットでは、客にあれを買え、これを買えとはいわない。買うものは客が決める。店長がすることは、客が買いそうな 品物を豊富にそろえ、選びやすいように陳列すること。シナリオは客が決め、演出家はその選択肢をいかに並べるかを考えることに徹する姿勢が求められる。 NHKスペシャルのCG映像をもとにしたマルチメディアCD-ROMタイトルの制作に携わり、そこがテレビ番組の演出との相違であると実感したという。

 マルチメディアの利用が、「利用者が提供される情報を選択・制御できること(Tway, 1995, p. 2)」を示唆しているとすれば、語り口で勝負する「大道香具師」よりも、品揃えで勝負するスーパーマーケットの店長の視点で学習環境を整えていかなければ ならない。そこに、マルチメディア型データベースの意義が存在する。大量のデータを、利用者が使いやすいようにいかに陳列していくのか。あるいは、利用者 がその利用方法を学習して自己の主張を組み立てることができる(ディベートに活用できる)ように支援するメカニズムをいかに埋め込んでいくのか。学習環境 としてのマルチメディア型データベースに求められる諸要素をこの観点から明らかにしていく必要がある。

1.2.1 マルチメディア学習環境と「感性データベース」


 本研究においては、「感性データベースとは、感性情報を含むデータベースである。」ととらえて研究を進めてきた(ソフトウェア工学財団、1995)。 ファジー理論や意味空間のベクトルの類似性などを手掛かりにして感性のおもむくままにデータが検索できるようなシステムを構築するのではなく、あくまでも 検索は通常のAND/OR検索を基本とし、感性的な検索ができるから感性データベースなのではなく、感性情報を含んでいるから感性データベースであるとい う視点に立ち、マルチメディア学習環境の枠組みを模索した。

 感性情報を含むという場合、まず、「万人の感性に訴える情報」「データベース利用者の感性を刺激する情報」をシステム側が用意することが必要条件とな る。つまり、データベースに含まれる具体的な素材が利用者の情意面へ強い影響力を持つことが必要となる。したがって、利用者が冷静沈着でいられないような テーマを選定し、感性に訴えかけられる学習課題とすることが不可欠となり、是か非かが切実な問題として捉えられている現代的課題に焦点を当てたディベート はその意味からも格好な題材を提供する。

 感性は、データベースに含まれる情報そのものに常時付随するものとは限らない。異なる生活経験や信念、あるいは既有知識を有する個々の利用者がデータと の相互作用を持つことによって、同じ情報から異なる感性が刺激される。また、異なる感性を有する利用者同士の相互作用によっても、感性が刺激され、高めら れるという性質を持つものである。したがって、マルチメディアデータベースの素材や構成法の検討に加えて、データベースを活用する場面の特殊性によって、 感性が刺激され、高められることも考慮することが求められる。

 さらに、感性情報を含むデータベースと言う場合、あらかじめ用意されたデータに接するうちに利用者の中に生じてくる感性についての情報を、データベース に映しだすことも必要条件となる。つまり、高い完成度のデータベースを与えることで利用者の感性を刺激することにとどまらずに、データベース利用者が自ら の感性情報をデータベースに付加することを可能にするメカニズムを備えなければならない。利用者が自らのテーマや関心に基づいて検索・収集しているデータ に関して、感じたことをメモしたり、また、感じたことのメモを利用者相互で交換させて、感性の高まりを支援するようなメカニズムも具備する必要がある。

1.2.2 マルチメディア学習環境の構成要素


 本研究では、初年度において、システムの基本設計を漸次進行するために、マルチメディア学習環境の構成要素を同定しその相互関係を図1―2―1のように示した(ソフトウェア工学財団、1995)。以下に、3つの構成要素の概略を振り返っておく。

(図1―2―1を入れる)(95より図3―1―1を複写)


 1)マルチメディアデータベース

 感性に訴えるためのマルチメディア情報(デジタル映像、デジタル画像)を豊富に含んだデータベース。この実現方法は、2つに大別できる。その第1は、本 研究で試みたように、具体的素材(ドキュメント教材)として、ストーリー性を持つハイパーテキスト構造と検索機能、トレース機能等を有する教材をCD- ROMなどのパッケージとして用意する方法である。ある領域の情報を網羅的にデータベース化するのではなく、ある特定のテーマに添ってある特定の視点から 情報を集めることで、一定の主張を利用者の感性を刺激するような構成で提供する。感性情報処理の研究成果を最大限に生かし、感性を高めるようなインタ フェースを備える。

 その第2は、近年急速に浸透したインターネット上のマルチメディア情報(WWWなど)を活用する方法である。題材として取り上げる内容に関連する情報へ のリンクを用意したり、ブラウザソフトから提供される検索機能を活用することによって、関連情報を効果的に収集させることができる。双方ともに、ハイパー メディア環境におけるリンク構造にしたがって、提供する情報相互の関連構造に分析を加えることを可能にすることができる(次項)。

 2)因果ネット・ハイパー型レポートベース作成支援システム
   (オーサリングシステム)

 マルチメディアデータベース利用者が、あるテーマに添って情報を収集・整理し、自らの感性にしたがって情報レポートを作成する過程を支援するメカニズ ム。マルチメディアデータベースから提供された情報をノードごとに切り出す機能を持ち、マルチメディアデータベースの主観的なサブセットを利用者ごとに構 築できるようにする。切り出された情報には、マルチメディアデータベースにおけるリンク構造の分析結果が自動的に付加され、因果関係に基づくハイパー型の データ構造が複写・保存される。また、コメント付加機能によって、切り出した理由や感じた事などをメモし、利用者の感性を表現できるようにする。

 パッケージ系のマルチメディア素材を準備する場合は、用意された素材に加えて、マルチメディアデータベース以外の情報も取り込むための情報追加機能を備 え、利用者がテキストや画像、音声などを新しいノードとして追加し、切り出した情報とのリンク構造を新たに付加することを可能にすることが必要である。ま た、利用目的(ディベートにおける論理構築)に特有な論理構造を踏まえて、リンク構造を学習させるための作成支援機能も付加する。

 3)誘導型レポート共同作成支援システム
   (プレゼンテーションシステム)

 主観的に収集・整理されたハイパー型レポートベースからリニアな構造を持つプレゼンテーションの素材を生成する過程を支援するメカニズム。ハイパー型レ ポートベースの因果ネット構造に基づいてノードを時系列に並び替え、レポートを誘導・生成する機能を持つ。また、時系列に並び替えられたレポートを提示し ながら関連した情報を取り出すことで、プレゼンテーションを支援する機能も持つ。プレゼンテーション支援には、利用目的(ディベートにおける発言フォー マット)に特有な形式を踏まえて、その形式に精通させるような学習支援機能も付加する。

 以上のレポート作成過程を共同作業として行うグループウェア的な機能として、ネットワークを介した情報共有機能と共同作成支援機能も実現する。


1.3 感性社会におけるディベート能力の育成の重要性


 ディベートとは、「あるテーマについて無作為に肯定側と否定側に分れ、同じ持ち時間で立論・尋問・反駁を行い、ジャッジが勝ち負けを宣する討論(広辞苑 第4版)」である。日本におけるディベートに対する関心は欧米におけるそれと比較して近年まで高くなかった。しかし、ディベートの啓蒙書が多数出版され、 企業でも学校でも積極的に取り入れようとする動きが顕著である(ソフトウェア工学財団、1996)。感性社会における必須の能力として、自分の主張を証拠 資料に基づいて論理的にまとめ、自分と主張が異なる立場の視点を論理的にも心情的にも理解し、共通の方向性を探る力が重要である。これらの能力を育成する ためには、ゲーム的な要素を含み、感情的な関係を超えて立場の違いを乗り越える経験として、ディベートの有効性が期待されている(たとえば、岡本、 1992)。以下に、ディベートのあらましと感性との関係について、昨年の報告(ソフトウェア工学財団、1996)の概要を振り返っておく。

1.3.1 ディベートの効用


 ディベートの効用として第1に挙げられるのは、氾濫する情報の中から有効な情報を選択し、それを自分の主張に活用できる高度な情報活用能力が育成される ことである。これは、高度情報化社会に不可欠な資質である。ディベートは、論題提示に始まり、討論会におけるジャッジの判定におわる一連の「知の創造技術 (北岡、1996)である。一般的にはディベートが討論会のみをイメージさせるが、自分の立場からの主張をまとめた原稿(立論)を用意するための資料・ データの収集と分析や論理の構築が、重要な位置を占める。反対尋問(相手方の主張を崩すための質問)を予想したり、反駁(相手の議論への反論と相手から攻 撃された自論の再構築)を効果的に行うためには、自分の立場のみならず、相手方の立場でも仮想的に論理の構築を行っておく必要がある。討論会での発表の説 得性の他にも、高度な論理構成力が求められることになる。

 ディベートの効用の第2は、「人」と「論」を区別する癖をつけることである。ディベートは常に肯定側と否定側が対決する構図をとるが、それは「論」と 「論」との対決であり、「人」と「人」との対決ではない。ディベートは、単なる「話し合い」や「ディスカッション」と違い、自分の意見とは無関係に「肯 定」あるいは「否定」の立場を割り当てられるため、「人」と「論」を区別できる。その意見を「誰が言ったのか」ということよりも「何を言ったのか」に集中 でき、心理よりも論理に関心がもたれる。同一性が重んじられる日本でも、人格とは切り離して相手の意見を批判できる。感情的な対立を起こさずして、自分の 意見を離れて、当該の問題を両方の側面から吟味することを可能にする。

 第3に、問題を肯定否定の両側面から吟味することによって、質の高い考察と意見の対立を超えた合意を得ることを可能にする点が挙げられる。松本 (1990)は、相手を負かすことがディベートの目的ではなく、「対立から真実を引き出すのがディベートの醍醐味(p. 21)」であると強調している。意識的に肯定・否定の立場の両面から「検証を重ね、議論を闘わせることにより、あるひとつの論題に対する理論的・理性的判 断を下す思考過程(p. 19)」とディベートの役割を捉えている。藤岡(1994)は、カトリック教会の「悪魔の代弁人(否定的な情報をあえて集めて反対意見を主張する役目)」 の知恵がディベートの精神であるとし、「ある主張にとって、それが対立する見解からの批判にさらされていることは、その主張の強さのあらわれであり、逆に 対立仮説の洗礼を受けない主張は本質的な弱さを含んでいる(p. 14)」と指摘している。

 ディベートを行うことにより、参加者には論理的思考が訓練され、それと同時に全体としては細かく検討を加えた意思決定が達成されることになる。教育の方 法であると同時に、企業運営の方法でもある。とくに「教育ディベート」という場合は、参加者の能力育成に視点が置かれ、まずディベートそのものの訓練 (ディベートを教える)を実施し、続いてディベートを重ねることで論理的思考力を育成し、同時に論題として取り上げたトピックスに対する参加者の知識を増 やすこと(ディベートで教える)に教育の目的がシフトしていくことになる。

 学校教育においても、1996年1月には全国教室ディベート連盟が結成され、1996年8月に第1回ディベート甲子園が開催されるなど、とりわけ国語科 と社会科の教師たちによって積極的な取り組みが見られている。ディベート導入の推進者は、「これまでの教育が暗記中心の知識獲得型であり、問題解決型の欧 米の教育には対抗できないとする危機感があってのこと」(佐藤ら、1994、p.19)と分析する。生徒の主体性を奪い、思考力や表現力の育成を妨げてき た教師主導の一斉授業を打開する方策としての期待も高い。他人の意見を聞き、考える喜びを与えるディベートの教育的意義として、佐藤ら(1994)は次の 点を挙げている。

 (1)問題意識を持つ
 (2)情報収集・分析力がつく
 (3)論理的思考力を養う
 (4)傾聴する態度ができる
 (5)発表能力が向上する
 (6)討論のマナーとフェアプレーの精神を学ぶ
 (7)自分に自信をもつ


1.3.2 感性とディベート


 マルチメディアは、「感性」に直接訴えかける点を指摘した西垣(1994)は、「イメージを商品化し、感性を経済システムの中で暴走・空転させて、批判 的な理性を衰退させてしまう恐れもある(p.iii)」と警鐘を鳴らしている。感性社会であるからこそ批判的な理性が重要であるという指摘は、批判的な理 性を育てようとする教育ディベートの価値が感性社会において低くないことを示唆している。

 我々は、「感性」という言葉のイメージから、「受け取ること」を想起しやすい。感受性が豊かである、とか美を観賞するという場合、自分がつくってそれを 発信するという観点、共同体の積極的な参画者になるという役割を忘れがちである。しかし、マルチメディアが全ての人を情報の発信者にする技術であること を、学習環境の構築を試みるときに改めて思い起こす必要があると思われる。ここでも、与えられた論題について様々な角度からの情報を収集し、論理を組み立 てて主張するという発信型の訓練となる教育ディベートの有効性が確認できる。

 論理的な組み立てと理性が強調されるディベートにおいても、感性を磨く可能性があることが指摘されている。その第一は、直接対話のコミュニケーションとしての側面、第二は、マルチメディア情報の付加による感性への影響である。

 ディベートが一方通行のプレゼンテーションではなく相手があることから、コミュニケーションにおける感性が重要となることが指摘されている。国語教師と して教育ディベートを指導する佐藤ら(1994)は、次のように述べている。「一般的にいって、日本人の話し方は外国人に比べて表情に乏しい。聞き手の目 をよく見ないで話す人もいる。目くばせ、顔の表情、身振りによる非言語的コミュニケーションは、言葉に劣らず(いや時にはそれ以上に)大切であ る。(p.84-85)」このことは、感性は「自分の立場を保ちながら、相手の立場をメタ認知することから生じる」とする坂元(1992)の指摘に通じる と思われる。

 松本(1990)は、「情と知を秤にかけるとディベートではロジックが重くなる。(p.164)」との立場をとる一方で、冷たいロゴス(知)といえども パトス(情)でくるめば温かくなる。パトスを侮ってはならないと説く。「ロジック(論理)は万能ではない。しかし、泣き落としも万能ではない。「情」に 「理」が加わってこそ説得力も増す(p.32)」と主張する。さらに、パトスを越えるディベーターの雰囲気としてエトス(信頼感)の重要性を指摘し、 「ユーモアやジョークによる切り返しなどの即興性を私が高く評価するのも、エトスがディベーターの余裕と深く関わっているからである(p.167)」とす る。松本の言うパトスもエトスも、ともに感性に関わる問題である。冷たい論理同士の戦いと受け取られやすいディベートにも、感性が深く関わってくる。

 話し言葉によるコミュニケーションを主としたディベートの中にも、マルチメディア情報を活用した事例がある。マルチメディア情報を活用することで、感性 にも影響が及ぶ。模造紙を使って立論の骨格を提示し、相手の提示した模造紙を見ながら論争をする方式を採用している北岡(1996)は、「同じ資料やデー タでも、表現力のある人は見事に図表化して説得する(p.89)」として、絵心やセンスが説得力を増すことに役立つと指摘している。さらに、外国人労働者 問題や米自由化問題を扱った中学生の事例では、自家で働く外国人労働者や近所の米屋さんへのインタビューを試み、その録音テープを立論で再生することで論 点を具体化したことが報告されている(佐藤ら、1994)。

 ディベートにおいてマルチメディア情報がより手軽に入手できるようになれば、その組み合わせ方や活用方法にセンスが要求される。これまでのディベートに おいては、話し言葉が中心であり、説得的コミュニケーションの技法も「話し方」に重点が置かれてきた。ディベートにおけるマルチメディア情報の活用法とそ の影響についての研究は、今後の展開が待たれるところである。


1.4 ネットワーク環境におけるディベートの試み


 コンピュータとネットワークによるディベート支援は、資料の収集・分析の段階、論理の構築の段階、そしてディベート試合の段階それぞれに考えられる。こ こでは、2年次の報告書に紹介したこれまでのディベート実践で行われた事例(ソフトウェア工学財団、1996)を振り返るとともに、最近の事例を紹介す る。また、実際にはコンピュータは用いていなくてもコンピュータ化が可能であると思われる事例も検討する。

1.4.1 資料の収集・分析でのカード型データベースソフトウェア利用の可能性


 資料の収集・分析の段階では、収集した資料を整理するためにカードやファイルを用いた実践が報告されている。中学3年生の実践(佐藤ら、1994)で は、収集した資料は、グループに1冊ずつファイルを与え(肯定派ー緑、否定派ー赤)散逸しないように指導した。アメリカの代表的なディベート教育のテキス トでも、論拠を整理するために情報カードの利用を提唱している(Richards & Rickett, 1995、13章)。資料の収集・分析のうちで最も難しいとされるのは、討論会での反対尋問への対策である。上條(1995)は、立論が「原稿を用意した スピーチ」であるのに対して、尋問や反駁は即興のスピーチを要求する、カードは即興のスピーチに有効であると指摘している。池田(1995)の実践では、 尋問カードを10枚程度つくらせて、相手が認めたくないことを認めさせるような尋問のステップを考え、また対戦中は次のように用いるように指導している。

 上記の事例は全て、コンピュータを活用したものではなく、紙のカードを用いての実践ではあるが、検索などの効率化を考えると、カード型データベースの利 用に発展する余地があると思われる。限られた時間で効率的に情報を収集し、それを臨機応変に活用できるように準備することは、ディベートの質を高めるため の重要な条件である。一般的な意味において情報の整理を手助けするカード型データベースをディベートの準備段階で効果的に用いていく方策が必要であり、本 研究で明らかにされた因果ネット・ハイパー型レポートベース作成支援のメカニズムは、この点での新しい知見となる。

1.4.2 立論構成におけるアイディアプロセッサ利用の可能性


 論理の構築の段階では、収集したデータをもとに、立論の構成に向かって主張を構造化することが求められる。資料の収集段階ではカードを用いる工夫が数多 くの実践例で見られたが、立論構成に向けた構造化への工夫は、あらかじめ流れが決められている立論の「ディベートストーリーを組む」(北岡、1996)と いった系列化を土台としたものしか見られなかった。

 唯一の例外として、西部(1996)が、教室ディベート研究会が「リンクマップ」と称する「ポストイット」のような張り替え可能なカードを用いた図式化 の方法について紹介している。西部(1996)の論文では、アイディアプロセッサ(発想支援ソフト)の印字結果と思えるものを用いている。コンピュータの 使用が一般的でない現状からポストイットを使うことを前提としていると思われるが、この資料整理と立論構成の過程は、コンピュータで支援することができる ことは明らかである。有用性は予測されるものの、現時点ではディベートにアイディアプロセッサを用いた実例はない。本研究で明らかにされた誘導型レポート 共同作成支援システム(プレゼンテーションシステム)では、初めてディベートの立論構成における収集データの系列化支援を実現した。

1.4.3 資料収集のためのネットワーク利用


 教育ディベートでのコンピュータネットワーク利用でまず考えられるのが、論旨を組み立てるための情報収集に役立てることである。ディベート論題が提示さ れてからの限られた時間で論題の関連情報を収集し、肯定側・否定側それぞれの視点で主張の裏付けをとるためには、効率的な情報収集手段が不可欠である。

 ディベート関連の書籍の中には、パソコン通信を利用したデータベースの活用で、新聞記事と書籍情報の検索が効率的に行えることを紹介しているものがある (上條、1995:松本・西部、1994など)。上條(1995)は、切り抜きや縮刷版に比べてキーワード検索では限られた時間で論題にターゲットを絞っ た情報収集が可能になること、また書籍情報は国会図書館にまで検索が及ぶことが心強い点を強調している。

 パソコン通信でのデータベース検索のほかにも、インターネット上に分散して公開されている関連情報の収集も大きな武器になることが予想される。キーワー ド検索のための仕組みも用意されているので、論題に関連した世界中の情報にアクセスすることが短時間で行える。本研究で構築したシステムには、インター ネット上の関連情報を収集するメカニズムを取り入れており、ネットワークに対応したマルチメディアデータベースの組み込みを実現している。

1.4.4 グループワーク支援のためのネットワーク利用


 ディベートのためのネットワーク利用の第2は、ディベート参加者が遠隔地に散在している場合に、ネットワークを介してディベート試合の準備を行う利用法 である。ディベートは通常肯定側と否定側のチームを編成して、試合までの準備にあたる。ディベート試合が肯定側と否定側の対決図式で捉えられるとすれば、 試合までの各チームの準備作業は、協同作業であり、チームメイトが遠隔地で準備を進める場合、グループウェアなどの支援を受けることが必要となる。

 「マルチメディアと子どもと教師と〜今、何ができるか。今、何が必要か〜」を大会主題に1996年10月に仙台市で開催された日本教育工学協会の全国大 会では、未来指向の4つの公開授業の1つに「通信ディベート」が取り上げられた。宮城・秋田・岩手の5つの高校と会場をインターネットとテレビ電話で結 び、校則の必要性についてのディベートが行われた。ディベート試合は、会場で肯定側・否定側の代表を務める在仙2校の生徒による直接対決という形をとり、 その様子を遠隔地の高校でモニターする「バックアップ部隊」がチャットで攻め方のアイディアを会場に提供する方式で参加していた(井口、1996)。

 この通信ディベートでは、学校対抗で争うのではなく各学校に肯定チームと否定チームを置いて進めた。議論をサポートするための資料を新聞データベースな どで収集したことに加え、合宿で気心を知り合った仲間との意見交換や作戦立案に遠隔地協同作業の要素を取り入れている。つまり、チームごとに準備された電 子メールの同報通信(メーリングリスト)を使って調査結果を交換しながら、遠くはなれての協同作業によって試合に向けての作戦を準備した。

 本研究では、インターネット上の関連情報を収集するメカニズムに加えて、誘導型レポート共同作成支援システム(プレゼンテーションシステム)を実現し た。これは、電子メールの同報通信を使う代わりに、ディベート試合で使う準備物そのものを遠隔地で協同で作成するメカニズムが提供できることを意味する。 このことは、ディベートの準備状況が遠隔地からモニターできることをも意味し、遠くにいるディベートの専門家に試合前の指導を受けることも可能にする効果 も意義深い。

1.4.5 遠隔地ディベートのためのネットワーク利用


 ディベートのためのネットワーク利用の第3は、ディベート参加者が遠隔地に散在している場合に、ネットワークを介してディベート試合そのものを行う利用 法である。資料収集や論理構築段階でのネットワーク利用とは異なり、通常対面して行われるディベート試合をネットワーク上で実施することには質的な変化が 伴う。通常のディベート試合で重視される非言語的コミュニケーションが、現在のネットワーク環境では「文字」あるいは「音声」のみのやりとりに形を変えて しまうからである。将来、マルチメディアに対応したネットワーク環境が一般的になれば、遠隔地にいることを意識しないで、ネットワークを用いながらも通常 と変わらないディベート試合ができるようになるであろう。しかし、反面、「文字」のみのやりとりに限定されるからこそ期待できる教育的効果も存在すると思 われる。東京都の2つの小学校を結んだ学校間ディベート実践(湯沢・小池・堀田、1995)として、その場での同期的なやりとりの部分(チャット)と、そ れぞれが時間をかけて用意した主張を非同期に送信し合う部分(メール交換)をディベートの進行に合わせて使い分けた試みがある。立論はメールで送信し合 い、それをあらかじめ読んで作戦を立ててから、チャット機能を用いて反対尋問をさせ、最後の最終弁論の交換には再びメールを使った。その結果、「ネット・ ディベート」のメリットとして、その場で論破する臨場感などを重視する従来のディベートよりも「静的な盛り上がり」をみせ、議論が通常のディベートよりも 深まったことを報告している。

 ノルウェイのオスロに本部を置く国際遠隔教育協会(International Council for Distance Education :ICDE)では、3年毎の第17回世界大会を1995年6月にイギリスのバーミンガムで開催したときに、インターネットの電子メールを用いたディベート を実施した。その報告によれば、合計170通の電子メールが寄せられ、活発な議論が展開されたとのことである。この例からも、参加者全員が一同に会すこと なく、ネットワークを介したディベートが試みられていることは判明したが、ネットワークを用いることによる影響についての調査は、今後の問題として残され ていることがわかる。本研究での評価実験によって得られる知見は、この分野での新しい情報を提供する。



参考文献

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