課題研究:情意を育てるメディア『 第29回日本視聴覚教育学会・第37回日本放送教育学会合同大会発表論文集』31 - 32 (1992)
鈴木 克明
Katsuaki SUZUKI
東北学院大学 教養学部
FACULTY OF LIBERAL ARTS, TOHOKU GAKUIN UNIVERSITY
近年、「情意を育てる」ことに対する要請が高まっている。一般的には高度情報化社会への備えとしての生涯学習への意志や態度、学習意欲の育成への期
待がある。具体的には20ケ国の中等数学教育を調査した最近の国際比較における、成績トップ、嫌いトップ(他の国に比べて極端に低い最下位)との報告(国
立教育研究所、1991)への危機感、あるいは指導要録改訂に際しての『新学力観』や、評価の観点の順序を従来の「知識・理解」「技能」「思考・判断」
「関心・態度」から「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」と改めたこと(文部省、1991)などに、学習への関心や意欲を重視
する必要性が意識されている。
一方で、コンピュータやマルチメディアを利用した学習環境の技術的発展は急速なものであり、教育への社会的要請を現実化する技術としての期待は高い(ソフ
トウエア工学研究財団、1992)。視聴覚教育の研究では、古くから言語的表現に頼らない情報提示の「わかりやすさ」に加えて、態度変容、感動、興味の喚
起といったいわゆる情意領域のメディア効果が問われてきた。社会的な要請のなかで、目先を変えて「認知領域」の学習達成を促進する道具的視点からメディア
のもつ情意的な機能を捉えるのでなく、「情意を育てる」ものとしてメディアを捉え直す視点の重要性が再認識されなければならない。
「学習意欲」または教材の「魅力」を直接扱うシステム的な授業設計モデルとして、近年注目をあつめているものに、J.M.Kellerの提唱する
ARCSモデルがある。ARCSモデルは、学習意欲を注意(Attention)、関連性(Relevance)、自信(Confidence)、満足感
(Satisfaction)の4側面でとらえ、学習者のプロフィールや学習課題/環境の特質に応じた意欲喚起の方略をシステム的に取捨選択して教材に組
み入れていこうとするものである。これまでの膨大な動機づけに関する心理学的研究や実践からの知見を統合した実践者向けモデルであり、メディア開発への応
用も試みられている(Keller
& Keller, 1991; Keller & Suzuki, 1988)。
ARCSモデルにしたがって学習意欲の要因をたどると、まず、面白そうだ、何かありそうだという注意の側面にひかれる。次に、学習課題が何であるかを知
り、やりがいがありそうだ、自分の価値とのかかわりがみえてきたという関連性の側面に気づく。課題の将来的価値のみならず、プロセスを楽しむという意義も
関連性の一側面である。学習に意味を見い出しても、達成への可能性が低いと思えば意欲を失う。逆に、初期に成功の体験を重ね、それが自分の努力に帰属でき
れば「やればできる」という自信の側面が刺激される。
学習を振り返り、努力が実を結び「やってよかった」との満足感が得られれば、次への意欲につながっていく。
ARCSモデルには、授業設計モデルの慣例にしたがって、設計の枠組みと指導方略、及びモデルのシステム的利用方法が提案されている。すなわち、学習意欲
についての問題を整理するためのARCSの枠組みと、4つの枠組み毎の指導方略の豊富なサンプルが例示されている一方で、学習者の意欲分析、方略の選択、
形成的評価と改善などを含む問題解決の手順が提起されており、学習環境の設計にあたって、情意領域を扱う際に参考になろう。ARCSの枠組みを用いて、一
般的な学習環境の属性を列挙したものを表1に示す。
学習意欲の側面 | 学習環境の属性 |
注意(A) | 驚き、もの珍しさ(新奇性)、スピード感、リズム感、色彩、高音質サウンド、興味をそそられる、調べてみたくなる(探求心)、バラエティに富む、場面展開(変化性) |
関連性(R) | わかりやすさ(具体性)、現実味、親近感、安心感、心地良さ、必然性がみえる(道具性)、状況に埋め込まれた(Situated)、やりがい、将来的価値、学習参加の意義 |
自信(C) | チャレンジ精神の刺激、目的志向性、成長の実感、リスクなしの練習の機会(成功体験)、努力への原因帰属、インタラクティブ性、自己ペース、自己選択(制御性) |
満足感(S) | 獲得したものが手順に役立つ(成果活用場面の埋め込み)、成果の即時確認、努力の結果の認知、達成感、何らかのご褒美、公平感、ペイオフ、充実感 |
ARCSモデルが注目を集めている背景の一つは、授業設計の成果として、従来からの「効果」と「効率」に加えて「魅力」を重視する傾向である(鈴
木、1989)。教材の「魅力(Appeal)」は、ある教材が一通り終わったところで「またやりたい」と思わせることとして捉えられる。この傾向は、認
知主義的な学習理論に基づいて能動的な情報処理者としての学習者の意欲を重視し、短期的な認知目標の効率的な達成に偏っていたこれまでの授業設計のあり方
を見直す試みである。これまで動機づけと言えば認知領域の学習目標への到達を促進するための「手段」として扱われることが多かったが、次の学習への動機づ
けとして、学習意欲そのものを学習成果の一つとして位置づける。Maehr(1976)が指摘した「学習意欲の持続(continuing
motivation)」への研究関心の欠如を補う研究動向である。
背景として第2に挙げられるのは、認知領域と情意領域の統合化の試みである(鈴木、1991)。学習の条件の差異を分類するための「学習成果の分類」を提
唱したガニエ自身や、情意領域における研究進展を試みたMartin
&
Briggsが指摘するように、2領域別々の研究の次の段階は、両者の統合化である。とくに情意領域を扱う場合、認知的な条件整備が重要となり、言わば情
意に「外堀を埋めるようにアプローチする」ためには統合化が不可欠となる。また、「育てる」という言葉が示唆するように、情意領域の設計は生涯学習にもつ
ながるような長期的なものになる傾向も指摘されている。
関心事が情意的な目標、例えば教材の「魅力」を高めることにあるとしても、それは必ずしも認知的な学習効果に無関心であることを意味しない。ARCSモデ
ルが示唆するように、「学習内容の獲得」と、その実感(すなわち主観的学習達成度)に支えられた「自信」は学習意欲の重要な要因の一つでり、学習効果は
「魅力」を高めるための道具的な意味において重要となる。学習意欲の持続には学習者の情意的な高まりだけでは不十分であり、認知的学習の達成を支援するメ
カニズムを備えた、いわば「内実を伴う魅力」が学習環境に求められる。学習効率を学習意欲の犠牲のもとには追及しないが、学習意欲の追及により学習効果を
高める属性も明らかしていく。そんなスタンスの研究が求められていると思われる。
Keller, J.M. & Keller, B.H. (1991). Motivating learners with multimedia
instruction. Proceedings of ICOMMET '91, 313-316.
Keller, J.M. & Suzuki, K. (1988). Use of the ARCS motiva- tion model
in courseware design. In D.H. Jonassen (Ed.), Instructional designs for
microcomputer courseware. Lawrence Erlbaum, USA
国立教育研究所(1991)『数学教育の国際比較(紀要第119集)』
Maehr, M.L. (1976). Continuing motivation: An analysis of a seldom considered
educational outcome. Review of Educational Research, 46(3), 443 -
462.
文部省(1991)『中等教育資料』1991年6月号
ソフトウエア工学研究財団(1992)『新コンピュータ支援教育システムの開発に関するフィージビリティスタディ報告書』 機振協システム開発報告書3-F-15
鈴木克明(1989)「米国における授業設計モデル研究の動向」『日本教育工学雑誌』13(1),
1-14
鈴木克明(1991)「学習者の認知・情意過程と授業設計-学習目標の分類と統合モデルについて-」『教育工学関連学協会連合第3回全国大会発表論文集』629-632